クワガタの話

2020年の9月1日25時30分頃、台風とまではいかない強い雨風の日にいつもどおり飲んで帰ると

玄関の前に小さなクワガタがいた。当時4階の家だったのでよくここまできたもんだと近寄ると暴風雨により弱っている様子だったのでひとまず保護した。

取り急ぎの紙袋にティッシュを敷きつめて、家にあったバナナを輪切りにして置いてその夜は眠った。

真っ白の紙袋のなかを覗くとミニマリストの住処のようでクワガタに悪いような気がして、近所の倒木から枯れ木を採取、河川敷の土なども加え、紙袋飼育ケースは少しばかりか居心地もよさそうになった。数日すると活発に動くようになり、親交は深まっていった。

ある朝、いつものように起き抜けに紙袋を覗くとクワガタの姿が見つからず、高さも30センチはある百貨店の紙袋だったのでどう脱出したかも想像がつかず、立ち尽くした。家中を探すも見つけることはできず、気落ちした。数日が過ぎ、またいつものごとく飲んで帰ってくるとソファの前をクワは這っていた。「クワ!」とつい叫んだ。その頃にはもうオスかメスかわからないそいつのことをクワと呼んでいた。

翌日、近所のペットセンターに自転車を立ち漕ぎして向かい、虫かごと昆虫マット、ゼリーを購入。紙袋から枯れ木などを移動し、小さな自然界が再現できた。

元気に回復したこともあり、外に帰すことを考えたが、一度保護されたクワガタなどは自然界で生きる力が失われており、すぐに鳥などに捕食されるか、死んでしまうという文献を読み、家で育てることを決めた。

数ヶ月が経ち、冬がくるとクワの姿が見えなくなった。Googleで検索をするなどをし、土のなかでの冬眠ではないかと考えた。そして春がきたのにもかかわらず、地中に埋まったまま彼か彼女かは姿をあらわさず、死んでしまったかもしれないと考えるようになった。それでも、生きている可能性を考え、水やりをし、定期的にゼリーは替えた。手をつけた様子のないゼリーを替えるたびに胸がいたんだ。

友人が家に訪れた際には、その不在の虫かごに水やりとエサを替える様子を見られ、死を受け入れられずに亡き者にエサを与えているような感じで見られてしまい、気まずかったこともあった。

さらに数ヶ月がたった頃、突然姿を現したクワはゼリーを食べていた。とうに春をこえていたので冬眠だったか定かではないが、颯爽と姿をあらわした。こみ上げてくる嬉しさでその日からしばらく気前がよかった。

そうした月日がかれこれ2年近く流れ、またこの冬も姿をあらわさなくなった。定期的に水やりをし、ゼリーを替え続けた。一昨日、数ヶ月ぶりに、クワが地上に出てきていた。生きていたか!と歓喜したが、まったく動かない。これまで何度も死んだふりをされ、落ち込んだ数時間後に動き出す、という業を仕掛けられてきたので、今回もその可能性を加味し、食事を替え、水やりをし、一晩待った。まだ同じところから動かず、ゼリーにも手をつけていない。もう一晩待った。ゼリーのところへ行く体力もないのかもしれないと考え、ゼリーの上まで身体をもって連れて行った。しかし動かない。どうやらこれは本当に命ついえてしまったらしい。呼んでこっちに来たこともないし、散歩もしたことはないが、厳しい思いに駆られる。

この虫かごには、この間に起きたあらゆる悲喜交交が詰まっている。その付随した記憶や思いのせいでこの虫かごをおれは即座には捨てることができないだろうと思う。

先日、作詞家であり詩人の覚和歌子さんと飲みにご一緒させていただいた際に「自分は善悪や喧嘩のなりゆき、はたまた色恋沙汰、命に関して、ことさらに心情が揺れ、喜びと痛みに大きな幅があり、ただ生きるといってもそのハードルは高いです」そう年甲斐もなく相談したところ、

「あなたのそれはギフトだから。あなたもわたしも詩を書くでしょう。」と言葉を返していただいたことを、この動かないクワガタを前にして思いおこした。

誰かにとって大したことがないことは、誰かにとってはおおごとかもしれない。