SNSの戯言

何を以て大人とするかなんて知る由も無いけども、近頃僕は確実に大人になりつつある。なりつつある。それは誰かに言われるでもなく僕の魂のなかに生ずる異物感のようなものであって、他人との差異からみえるような相対的なくだらない感覚ではなくて。だからこそ、おそろしい。

相対的な感覚や視覚から滲むものには抗えたとしても、己との対峙においては抗うことよりも染み渡る速度の方が幾程も素早いからだ。大人になりつつあった僕は感覚と距離を置いた。人への発言も闇に隠れた。SNSは告知ばかりの利用で、宣伝ばかりで私情は置き去り。僕はその理由を知っている。何かを書くということは非難される可能性を内包し、誤解されかねないというリスクを意識し怯んだからだ。
そんなに大人しい洒落たものが欲しかったのか私は。という夢をみた気分さ。俺はそんなものが欲しかったんじゃない。かっこよく見せたいわけじゃない、良く思われたいわけじゃない。金も地位も相対的な概念なんてくそくらえ。言いたいこと言えるだけ、やりたいことをやれるだけの生き物なんだ俺なんてものは。ただそれがきっと無二のらしさってやつだったはずだ。それを大人になるということで捨てたんだ。という夢を見た気分さ。丸く収まったようなぎこちなく整えたものなんていらん。獰猛な異物をまき散らしてやるんだ。かの人は言うのだ。

「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた。」

「死にいたるまでつづいたこの狂燥の発作が、祖父の壮年時代の罪の形見であることを誰が知っていたか?」こいつあ天才だ。自ら クリエイター アーティスト を名乗るような者にはなりたくはあない。肩書きが先行し、脳みその無いのを知るからこその頭蓋骨は嫌なんです。口先だけで何かを創る輩がごちゃごちゃとどーんとなっている世だからこそ僕は彩りを背に羽ばたいていたいのだ