イカロスの堕落という戯言

澁澤龍彦氏の著作を僕は線だらけにする。一つ目の線はここにひかれた。

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最初に身も蓋もないようなことをいってしまえば、人間の生活には、目的なんかないのです、人間は動物の一種ですから、食って、寝て、性交して、寿命がくれば死ぬだけの話です。

そもそも動物の生活には、目的なんかありやしない。ウシやブタの使命は、べつに人間に食われることではない。人間は、自分たちのつごうのよいように、かってに動物を「害鳥」とか「益虫」とか分類しますが、スズメはべつに人間を困らせてやろうと思って、稲の実を食っているわけではないし、トンボはべつに人間の役にたとうと思って、蚊を食べているわけではありません。そう考えるのは、人間の自己中心的な考え方です。

人間とは、じつに自分かってな、傲慢な動物で、ヘビやカエルのような姿の醜い動物なら、たたき殺しても平気ですが、たった一羽の公園の白鳥が酔っぱらいの手で殺されると、いやに感傷的になり、目の色変えて騒ぎます。ヒューマニズムなどという便利なものを発明して澄ましていますが、しかし、人間自身の生活だって、イヌやネコの生活と変わりなく、べつになんの目的があるわけでもなければ、なんの使命があるわけでもないのです。

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実にタイムリー。中国の諺のなかに「準備のできた人間のもとに師は現れる。」というものがあるが、僕にとって本は紙切れにも成り得るし、師にも成り得る。ときに、この著作はどちらであろうか。僕としては何が正しいか何が間違っているか、なんて軋轢はそれこそ万物尺度論ではないけども、各々が抱き悩むべきことであらうと思っているので、主義主張はまず胸の底に深く沈め込み、己の世界だけを展開する。その展開先がやれ現実的だろうと理想的であろうとそれは比較対象がなければ「〜的」などと謳えず、ただひとつの思考に過ぎない為、その主義主張は光も届かない地底に落ち着くこととなる。(僕個人の場合)

む、私的な日常がちらつく。今日はこれにて。

本来は明日夜から宮城ゆきの夜行バスに乗り込み、知人のトシ主催「農music、農life」に参加するはずだったのだが、まさかの土曜日に重要な課題提出がかぶるという惨事。血の滲むほどの悔しさを久しぶりに痛感している。どうする俺。と言っている余裕も無く数時間後には学校へむかう電車に揺られていることだろう。

やり場のないため息がそらにこだましてら。