Madobe

鉄格子のように僕の網膜に映るその景色は窓ガラスというものに他ならず。僕はその窓ガラスを舐めるように見つめる。僕は知らないのだ。窓ガラスに向こう側があるなんてことも。

鉄格子が僕の人生における終着駅であって、その先は在りもしないし無いわけでもない。されど事実其処に鉄格子は無く、聳え立つように映るのはやはり窓ガラスである。

窓ガラスを舐めるように眺めることしか知らない僕は食う、寝る、見る、といったように、それが行われるべき事象であられよとどこか思い願っている。

願いは救済であり、幻想を造り出す映写機のようなもので、それを僕は十年後に知ることとなる。

第三者を語るように、さらに時間軸がずれた調子で僕を述懐するのには理由があり、過去、現在、未来、自己と他己といったものに因果関係はあるにせよ、等身大の物象ではないからである。