集団的自衛権

僕自身の交友間においても、この件については反対派もいれば賛成派もいる。コミュニティが偏っていないのは有り難いことだ、と、飲み会なんかでも恐れずに双方と意見を交わしてみる。

右翼と左翼、なんてちっぽけな分け方や隔たりを作るより、空き時間に憲法原文を読んでみたり、各々の考えに則って知る、見る、触れることが重要だと思う。

それこそ顔を出すコミュニティによって随分変わるけど、僕の同世代は比較的政治に無関心な人が多いように思う。クリエイティブと呼ばれる業種にいる友人もたくさんいるが、それが若さ故なのか、「集団的自衛権についてどう思う?」なんてふっても、「ああ、ニュースで話題になってるやつか」という程度で殆ど知らなかったりする。

幾つもの問題がそこにはあると思っていて、まずは、彼ら(僕自身を含めて)にとって「政治は難しいもの」になってしまっているということ。それがある種の非日常的な分野としての政治になってしまっていて、とっつき辛い距離を作っている。

もうひとつに、「政治を知らないと馬鹿にされる」という雰囲気があると思う。本質的に言うとそれはそうなのだけれど、それがあるが故に、「おれ、憲法9条とかよく知らないんだよね、教えてもらえる?」と言い出しづらく、できるだけ飲み会や集まりでは政治の話題を遠く遠くに置きながら、皆して知ってる風を装ってやり過ごさなければならない、という現実があると思う。

そんな状況下において、「集団的自衛権についてどう思う?」なんて切り込めば、俗に言う若者たちの飲み会には「空気が読めないやつ」の烙印を押され、次は呼ばれないだろう。

僕は知らないことは悪いことじゃないと思う。どんな人だって誰かと比べれば知識の差異は生まれる。巷のエリート官僚だって、松岡正剛と比較されたら太刀打ちできないでしょう。だからこそ、知らないことを咎めない。「そんなこと知らないの?」「勉強不足」と切り捨ててしまえば、その人はより知る欲求を閉ざしてしまう。

無知を断罪するのではなく、無関心であることの罪を共有する。足りない知識は補い合えばいいし、より良い知恵があったら学べばいい。普段生活をしていて、圧倒的に教え合える空間、雰囲気が少ないことを感じる。これは非常に勿体無いし、そうした空気こそが恐ろしく低い投票率をも生んでいると思う。

僕はまず、この空気を変えることが日本を変えていくと思ってる。選挙の電子化やツールの工夫じゃ変えられない政治と若者との距離感がある。
「わたし全然わからないから教えてー!」「おれ今の総理誰か知らないけど戦争は嫌だな!」が出発点だっていいじゃない。皆知識の比べ合いなんて五十歩百歩なんだから。

どうすれば平和に生きていけるのか、どうしたら殺し合いをしなくても過ごしていけるのか、「ハードルを下げて」考えるきっかけを作っていきたい。

http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html