夜のできごと

ぐらつく秋の晩、小雨が地面を叩く音で窓を開けた。
ふと切らしていた酒の存在に気付き、傘を持たずに駐輪場へ駆ける。
勢い良く漕ぎ出した下り坂を下りきる頃には、突然口内に広がるしょっぱさに眼を丸くした。
雨がつやつやと黒い路を映し 街灯が誰もいない寝静まった街と私だけを照らす
皮膚に沁みこんでくる晩秋の薫りと 自転車の速度と走馬灯
感傷に浸っていたわけでもないのに 人生は美しい と涙と独り言が共に垂れた

人生の美しさに、泣くなんて そんなことあるか

マイクタイソンに豪速のフックをくらい殴られたことに気付く前に倒れていくボクサーのように
観念も引き金もわからないまま ただ口から溢れる 人生は美しい の音頭と共に 鳴る夜
人生は美しい なんて美しい 美しすぎる
止めどない記憶のロール 生の実感 毛穴が開き 今、生きている、自分、生きている
砂利顔のコンクリートが濡れて街灯を照らし 雲間につつ抜ける月明かりの麓をふらふらと歩く男女
雨水ごと吸い上げるように朝へ急ぐ車 はぁはぁと止まらない私の呼吸

人生は美しい 生きている この地続きに産み落とされるずっと前からの記憶を感じ
父と母の六畳一間の視線 曾祖父の眠い目をこする三桁前の早朝
何度も美しいと声を漏らしながら頬をぬぐった深夜の路地裏
一滴たりとも呑んでおらず、無論ドラッグの類にも手を出しておらず
夜道で男が膝に手をつき、遠くを見つめながら 人生は美しい と泣いている
その異常な光景が私が私の今、生きていることを思い出させた