たよりない現実、この世界の在りか

ワタリウムの和多利さんのコメントを目にし、現代芸術活動チーム目【め】による「たよりない現実、この世界の在りか」展に足を運んできた。
前衛芸術、現代芸術と聞くと難解なイメージからアレルギーを起こしがちであるが、そもそも芸術とは、思考及び意識の幹の話だ。
誰もが持っている自意識無意識、その転換であったり、未知の引き出しの具現化が凡その部分で、あとの外装は尾ひれのようなものだったりする。二十世紀最大の芸術家と呼ばれたデュシャンは正にその血脈を泳ぐように生きた人で、コンセプチュアルアートとは文言そのもの、思考を見せたりひっくり返したりの見えない芸術だった。

「たよりない現実、この世界の在りか」では、そうした根源的なことを思い出させられた。アートやアーティストという言葉が摩耗するか如く蔓延る現代にあって、こと日本において、芸術はもはやよくわからないものになっているのではないか。芸術と聞いて一般的な家庭では「そんな食っていけないものやめなさい」だろうし、若い世代にあっては「観念的な斜に構えた人たちの言い分」といったような、漠然と身近ではあるけれど、実はオブラートに包まれた遠いものになっている気がしてならない。

伝えたい、という欲求と、ただただ表現したい、との着地点を巡って複雑化させるような回りくどい道もあるだろうが、
当展覧会は簡単に言ってしまえばそうした全てを「ぶっ飛ばした」ものだった。

これってなんだろう?これは本当だろうか?といったような「疑う」という行為。それは実のところ「知ろう」という行為と深く関わり合っていて、好奇心だったり探究心の第一歩はいつの日も疑いなのだ。

食欲や睡眠欲のように、生きることに芸術が欠かせないものだと言葉無しで思い出させてくれた「たよりない現実、この世界の在りか」ごちそうさまでした。