個人的な体験

世話になった方が亡くなった。人間は生きている限り幼少期だろうと成人していようと無作為に身近な人から大切な人まで死で失い、そこに善悪も規則性も無い。この人がいなくなってしまったら自分が生を続ける意味すら保てないというような状況さえ、努力、怠慢、時期も汲まれずにそれは突拍子もなく訪れる。

だからこそ、生きるとはそういうことなのである。現象に近い発生の仕方と、これまた現象に近い消失の仕方を記憶が薄まるような苦い長軸のなかで連続しそれが歴史と呼ばれたり、時に物語として遺される。既視感すら生む死別、それは慣れようと飽きようとまた必ず来る。

やりたいことがあったのにやれなかった、大切だと思っていたのに大切にできなかったといった戯言の類は選別される間も無く戻れない場所という時間を刻まれるのみに。

人間の持つ「忘却」という体温調節や適応性といった能力より何より優れた人間を人間せしめる力によって死別や辛苦から人は立ち上がることができるが、それ故に同じことを繰り返してしまうという魯鈍な浅はかさも生む。

こうして誰しもがすり抜けていく命の匂いだが、いくつになっても嫌なものだ。実直に、欲をも抱くように生きても尚それを避けられないなら何を道と説こうか。